
【裏・新宿2丁目ミステリーツアー に寄せて】
私が初めて二丁目に足を踏み入れたのは、16歳だった。
まだ、モデルになっていない高校に入ったばかり頃で、少し前に初めてゲイナイトに行って初めて男性に恋に落ちてしまった結構年上のお兄さんの友達と仲良くなり、連れていってくれた。
93年、テレビでは初めてだったゲイを扱ったドラマ「同窓会」を夢中になって見ていて、行きたかったが一人で行くのは怖かった。
どのお店に行ったのかは忘れてしまったが、「同窓会」でモデルになったお店だった気がする。
年上のお兄さんには振られてしまったが、二丁目に連れていってくれた人の友人と、その日の帰りに付き合うことになった。
彼ともいつの間にかなんとなく別れた。
二丁目に連れていってくれた方には、その後もしばらくお世話になっていて、私が彼に手紙を書いた一つのフレーズを今でも覚えている。
まだまだ子供で経験がなかった私は、彼といることで「どんどんスポンジが膨らんでいくように吸収している」実感があり、感謝を伝えた。
それから、モデルになって二丁目に行くことをためらっているうちに、また彼ができた。彼に二丁目に行きたいけど、行けないことを伝えると「どんだけ、自意識過剰なの??」と言われた。
「誰も君のことなど気にしないよ」と言われむかつきながらも「確かに」とも思え、その彼と二丁目に遊びに行った。
94年、私は18歳だった。二丁目に当時あったクラブ「ディライト」で、ゲイブームのようなものが盛り上がっていた頃だった。
ドラァグクィーンのショーを初めて見たり、知らない人とも友達になったような感覚で盛り上がり、その自由な空気に感動した。
それからまたしばらく二丁目には行かなくなってしまって、思いっきりハマったのは芸能の仕事を辞めた2000年、24歳の頃だった。
友人の紹介で、芸能をやっていた女友達と行ったのはレズビアンバーだった。
今でも仲良くしてもらっている、そこで働いていたゆっこちゃんに出会って彼女に色々なお店に連れていってもらった。
ゲイバーも時折行っていたけど、自分がリラックスして飲める場所はなぜかレズビアンバーだった。それは、今私が自認しているジェンダー(ノンバイナリー)というのと、関係があると気がついたのは最近のことだ。
あれから30年以上経った。この街で過ごした色々な思い出がありすぎる。
あれから、私は二丁目で過ごしながら2011年に自分のお店「星男」を始めた。
あの頃の私のスポンジは膨らみすぎて、ちょっとでも触れると溜まった液体が大量に滴り落ちる。
二丁目で自分の体験と共に、少しずつでも皆様にシェアしていきながら私自身とこの町の歴史を考えてみたい。
今はもうないあの頃あった場所での思い出、行きたかった店、今でもあるもの。
街の歴史のレイヤーと、私の歴史のレイヤーと、わたしたちの今というレイヤーから行き来する時間です。
櫻田宗久
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裏・新宿2丁目ミステリーツアー
引率 増田ぴろよ
ゲスト 櫻田宗久
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https://masudapiroyo.official.ec/items/108848257
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