2012 statement

【2012年ステイトメント 櫻田宗久】

私が子供の頃、女系の家族で育ったからか周囲によく「女っぽい」と言われていた。自分にとっては、「男」や「女」だから行動基準を選ぶというよりは、自分が好きだから選ぶという方が強かったので、私が選ぶものや私自身の自然な振る舞いを「女っぽい」というような性別でカテゴライズされる事が不思議だった。

中学生の頃からは、同性と恋愛するようになり社会の中で少数派である性的マイノリティーとしての窮屈さを知ることとなった。

それは私にとって「ジェンダー」や「セクシャリティー」を考えさせられるきっかけとなり、初期の作品作りのテーマとなった。

2004年の作品「WET DREAMS」では、私自身の当時の同性の恋人をスナップし作品化した。これはゲイとカテゴリーされた恋愛の風景をヘテロセクシャルの恋愛のスナップと同じ様に可視化することによって、マイノリティーと呼ばれる恋愛であろうとヘテロセクシャルにおいての恋愛と何も変わることはない事を伝える為であった。

2005年の作品「フィクション」では、LGBT、ヘテロセクシャル、トランスベスタイトの当事者に彼らの人生の中であったジェンダーを巡るストーリーをインタビューし、ポートレート撮影をした。

皆私と同じ様に、ジェンダーの中で様々な思いを抱いていて、それぞれのストーリーがあるが、現実に起こったジェンダーを巡る出来事は私たちの根源的な欲望から生まれているものだろうか?私たちは「フィクション」の概念の中を生きているのではないか?という問いかけをした。

2006年「He likes me?He like me not?」では、よりファンタジックに男性が少女的な世界に溶け込んでいる作品だ。男性達はフリルのついたネグリジェを着て、一様にまどろんで、「花占い」をしている。少女的と言われる世界に男性をすり返ることによって、男らしさ、女らしさとは何かという疑問を表した。男性であろうが、乙女的といわれる精神性はあるのではないか?という思いによる。

2008年の「ムネトピア」ではジェンダーの問題を神話的世界へとパラダイムシフトさせた世界をコラージュの手法で作品化した。これまで抱いていたジェンダーの問題というのは、人間至上主義、権力的な社会というものと繋がっていて、ジェンダーの問題だけではなかった。

神話の世界の様に人間と神、動物と人間、男性と女性などを非対称な二項とわけずに、違いを認めながらもお互いを認め合うという世界を求めたのである。

少女がいるかたわら、両性具有のモデルがいたり、動物、妖精や幽霊、神社とお寺、キリスト教などが同じ地平にたっている世界を意識的に作り出した。

これは、相反する概念や非対称とされる関係に親和性を求める気持ちから生まれた。そして、コラージュをすることによって一つ一つの対象物には意味があり、イメージが限定されてしまう事に気がついた。

対象物にはシニフィアン・シニフィエがあり、これはジェンダー同様社会的に作られ伝わったイメージだ。私は、それが例えば女性的、男性的という決め事から一度イメージを無機化し、特別な何かにせず同じライン上に存在することをビジュアル化していけないのだろうか?と思うに至った。

こうして2011年からの作品から、写された対象をデジタルの手法で、均一に線化させた。グラデーションの色界に沿って線状になった対象は、あらかじめ認識された意味を失い、差異のない同じ線として存在している。

しかし写された線は、一見同じように見えるが境界線を固持して存在する。この境界線とはなんであろうか?

2011年の作品「星男」では、311による原発の爆発によるショックから私はパニックになったまま作品を作っていた。私はもはやジェンダーという問題を超え、権威的社会が作ったこの問題に対して意識的にならざるをえなかった。

しかしこの問題はジェンダーの問題と実は繋がっていて、私はこの権威的な社会の中で小さな声が届かない事に対して憤りを感じていた。

この作品では同じ手法で、電気の発光を線化させ同じように線化させた人の風景を写したスナップに重ね合わせる作品を作った。原子力発電所はまるで日本の父権社会そのものの様に映る。自分勝手な父親は、強い事だけを良しとし、母子の言う事を聞かずにとんでもない数の発電所を地震国日本に作った。私はこの父親とどう共存していけばいいかわからなかった。

しかし、わからないと言ってるだけではなくこの様なシステムの社会の中でマジョリティーの意見だけではないという事、固定概念を組み替える発想が必要なのではないのだろうか?

社会の中で押し付けられる様々なあり方は、本当に私たちの人生にとって大切な事だったのだろうか?こうでなければいけないという思い込みから、発想の転換が引き起こるようなやり方で、私は作品を作っていきたい。

美術とは、写真とはこうあるべきという形を乗り越える作品を提示して行く事が私に出来るよりよい社会を目指すための方法である。

櫻田宗久