【蝶次元コメント】ヴィヴィアン佐藤(非建築家、美術家)

瞼の裏の風景ともいうべき、幻視の像(スペクトル)は色彩や輪郭を超越し、いや、むしろそれらが生まれる以前の世界である。
木枠の年輪という冬の到来の徴は、記憶の遠近法に重なる。冬の記述が極端に少ないのは記憶の冬眠か。。
シャッターを切るとき、被写体や風景と同一化する写真家の肉体は完全に消失し、それらと同様に輪郭や色彩も失っているはずだ。
すべて粒子化する世界はエピクロス的な無神論にも通じ、同時に永遠性を獲得する。
我々はどこから来てどこへ向かうのかという壮大で、かつ極小な問題を身近な日常で描く。
像(スペクトル)こそは描かれないが、そこに出現するのは紛れもない亡霊性である。
世界は亡霊で満ち溢れており、そこでは寝息が海風となり、敷布は砂漠と化す。

ヴィヴィアン佐藤(非建築家、美術家)

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