蝶の時間 櫻田宗久 (初出:薔薇族2005年)

「蝶が雨宿りしているところ、見たことある」
夏の暑さにすっかりやられてしまって、何も考えられなかったのに
なぜだか僕は泣いていた。悲しい事なんて、何もなかったはずなのに。
「羽が濡れてしまうと、飛べなくなるのかも知れないね」
蝶の羽には粉がたくさんついていて、雨などを弾く役目がある事を
思い出していたが、言い出しそびれてしまった。
僕には、そんな粉ついていないから、いつも濡れてしまう。
今だって、目の中に水分がひたひたと溢れていて、一杯になると
すらすらと流れ落ちるままだ。弾くこともないまま、ただ流れていく。
本当は悲しいのかも知れない。
さっきから降り出した雨が、ぐんぐんと空気を浄化しはじめていて
僕の脳にも新鮮な空気が循環しはじめている。
いつの間にか、遠い夏を思い出していた。

部屋にはクーラーがなくて、とても暑いというのに
真昼だというのに、実家だというのに、人がいないのを見計らって
セックスばかりしてた。体中から汗を流しあいながら、キスをして
お互いの唾液を絡めあう。まるで雨に打たれたようにずぶ濡れに
なって、お互いの体を貪った。喉が渇くと、すぐさまペニスを口に
入れられる。ペニスから甘ったるい匂いが鼻に伝わると、意識が薄れだし
喉元にまでそれを咥え込んでしまう。欲しくてたまらないそれから、
勢いよく精液が出されると、苦い味わいをもつそれは喉元から離れようとしなかった。

「卵から幼虫になって、蛹になるでしょ?で、やっと蝶になる訳じゃん。すごい変化だと
思わない?幼虫の皮を脱いで蛹になるの見たことある?」
「教育テレビかなんかで見たことある。確か……」
「数分で、変わるんだ。筋肉が全く違うから、前のは溶ける。だから蛹の中はどろどろ」
昆虫が好きだというこの子は、それらの話をしだすと止まらない。
博識ぶって、うれしそうに話しているのがかわいい。
「もし、蝶だったら今はどの時期なんだろう」
うーんと、真剣に考えている彼を見ながら、自分はもう蝶になっているような気がした。

ぽってりと膨れた唇が好きだった。
初めて会った時に、その唇にやられてしまい、すぐにでもキスがしたくてたまらなくなった。
やっと、キスが出来た時は、体中の力が抜けて、溶けてしまった。
やわらかいあの唇と、とろとろとした舌が、僕の口の中へ吸い付き、掻き回していく。
全ての神経が口元に集められ、僕の舌もダンスを踊る。ゆっくりと、静かに、時おり激しさをもって。
お互いの水分が波のように寄せては返されていく。
海の中に潜っていきながら、体の感覚を失くし二人の口と絡めあった舌だけが存在していた。
どれくらいキスをしていたのだろうか?

「今は蛹かも知れない」
真剣に考えていた事に、少し笑ってしまう。どうして?と聞いたらまじめな顔をして
自分がまだまだ子供で、なりたい自分にはまだなれていないからと答えた。
「真の男になりたいっす」
真の男か。いろいろな経験を積んで、何が起きてもびくともしない、そんな男。
「いろいろな事がすぐに飽きちゃって、すぐいらいらするし、我慢強くなりたい」と彼は言った。
「その時はちょっとつらいけど、結局スムーズに進んで後々楽だったりするから、多少の我慢は必要かもね」
「人間関係でも、つい感情に流されて喧嘩になったりするけど、冷静に話せば丸く収まったりするし」
頭の中はうっすらと靄がかかっていて、しんと張りつめている。思考のドアは開かれる間もなく、
経験の森の遣いが言葉を連れて口先からこぼれ落ちるのをぼんやりと感じていた。
「勉強になるなぁ〜」
感心の色を体に滲ませて彼は言った。

「なんで、解かってくれないの!」
テーブルの上には、さっき彼が作った夕飯が幸せな恋人との暮らしを絵に描いたように並べられていたが、
それらを全て床に落としてしまっていた。テーブルの上にものが無くなると、今度は座っていた椅子を
投げていた。投げるものがなくなると、今度は彼に向かっていった。
彼との喧嘩はもう何回目になるだろうか。キスをした回数よりも上回っているのだろうか。
伝えたい事が伝わらないもどかしさが僕を爆発させていた。違う意見を跳ね飛ばして意固地になり
聞く耳をもたないことに失望していた。手をあげると負けだと言われたが、言葉は空中を彷徨うばかりで
それを捕まえようとしない相手に解かってもらうには、それしか出来なかった。
話を聞いてほしかった。

唇がやわらかい。キス好きなんだ?すごい汗。甘い匂いがする。
何?ここ気持ちいい?知ってる。ここは?
照れることないよ。うん。好き。やばい。入れたい。
痛くしないから。大丈夫だよ。初めだけだから。いい?うっ。
すげえ、やわらかい。あっ。まじできもちいい。すぐいっちゃいそう。
どろどろなんだ。蛹?うん。溶けてる。僕も。うっ。愛してる。好きだよ。
声出していいんだよ。あっすげえ。気持ちいい。あっあっ。

彼のペニスが入ってきた時、他人との一体感をはじめて感じた。
足りないものを埋めるように休むことなく尻の穴の中へ入っていくペニス。
いつの間にか涙を流している。
雨を降らしている雲を抜けると、神々しいほどの光が広がっている。
ここはどこなのだろう。今までごめんなさい。素直じゃなかった。
淋しかったんだ。遠くで誰かが呼んでいる。すごい輝いている。
こわいよ。ごめんなさい。一人はやだよ。こわい。美しい。ごめんなさい。光。あ。
目前に現れる突然の色彩に息が止まった。蝶だ。

何度も入れて欲しいとせがむ君を見ながら、
僕はやっぱり蝶ではないと感じていた。僕も君と同じ。蛹の中のどろどろとした真ん中で
新しい筋肉をつけている。大切な事はいつでも言葉にできなくて
体が自然に答えを発している。水分を出しながら、その理由を見つけるのが
今の僕に出来る事。君と僕のペニスから滴る粘り気のある液体を指に取って
僕たちはひたすらに水分を出さずにはいられないことを思った。
言葉には出来ない、僕たちの思いはただひたすらに水分となって。

「蝶が通る道は、決まっているんだ」
天気雨が、変わりやすい僕たちの心の動きをそのまま表している。
「バタフライロードだよね」
何度も何度も同じ道を辿ってきっとあるべき所へ僕たちも行くときがくるのだろう。
僕は変われるのかな?
いつか、君も変わるのかな?

 

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